【コラム】『生きている感』を全面に出すことができれば、それだけで生きていけるのかもしれない。
こんにちは!田中秀憲です。
いつもブログをお読みいただきありがとうございます。
朝、散歩に行きました。
朝の散歩がいい感じで気持ちいいことに気付いて、習慣になっています。いつも歩いていると、毎朝会う人がいて顔見知りにもなったりします。
そんな、いつもと変わらない散歩中に道路に落ちているおにぎりとカラスに出逢いました。
今日は「おにぎりとカラス」の話です。
当たり前のことなんて何ひとつない。
朝のいつもの散歩道。
偶然落ちていた海苔のない白いおにぎりと偶然それを見つけた一羽のカラス。
そして、そこを偶然通りかかったわたし。
ある意味、三角関係です。
ただ、おにぎりにとっては選択権がない受け身の状態なので、
カラスとわたしでおにぎりを争っている形ですね。
わたしをチラッと見てから、カラスはおにぎりに一直線に向かって行きました。おにぎりを頬張っているカラスを見てるわたし。
「あぁ、生きてるな〜」って思ったんです。野生の生物感がものすごく伝わってきた。
それと、同時に俺にはそれが足りないとも思いました。
もし、何日もご飯を食べていなくてお腹がペコペコだったとしたら、道路に落ちているおにぎりを見てどうしていただろう。
野生の動物を見ると生物らしさというか
『生きている感』がものすごく伝わって来るのですが、それはきっと自然の中で自然に生きているからだと思っています。
わたしは、幼い頃から家の周辺でキツネを見たり、リスを見たり、鹿を見たり、よくわからない鳥を見たり、、、。
大人になってからも、イノシシ、うさぎ、さる、へび、などなどを見ることがありました。
野生の動物と遭遇するといつも頭の中でドラクエの音楽が鳴ります。
『トゥルルルルルル〜♪』
『トゥルルルルゥルゥル〜♪』
そして、たまに口ずさんでいます。笑
今のドラクエは音楽が変わっているのかな。
というちょっとどうでもいい話は置いといて、野生の動物を見ると神経がピリッとして、
なんか眠っていた体の中の何かが反応するような感覚になるんです。
この感覚は、今のところペットとして飼われている動物にはそれほど強く感じないんです。
きっと、自然の厳しさの中でいつどうなるのかもわからない。
明日がないかもしれない。
そんな、毎日の繰り返しからあの雰囲気を出しているのだと思っています。
多分、何百年も昔の人間も野生動物に近い生活をしていた時代では、『生きている感』を全面に出して生きていたのだと思ったりしています。
そうなると、現代人の多くがそうではないということでもあります。
当たり前のように、家があって、屋根があって、壁があって、窓がある。
食べ物があって、風呂がある。
電気があって、ガスがあって、水がある。
何百年も昔の人間には、どれもなかったはず。
それでも、いまこうしてブログをかけているのも生き延びて、命を繋いでくれたから。
実は、当たり前のことなんて何ひとつない。(のだと思う。)
ただ、ごく稀に絶滅危惧種並みのレベルで『生きている感』を全面に出している人間に遭遇することがある。
もちろん、この時もあの音楽が鳴る。。
『生きている感』を全面に出すことができれば、それだけで生きていけるのかもしれない。
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何が違うのか考えてみると、ある共通点が見つかった。
それは、圧倒的に野生という点で飛び抜けていることだと思っている。
具体的に言うならば、
”生かされている”のではなく”生きている”。
エネルギー値が抜群に高い。ここで言うエネルギー値とは、体力とか力の強さとか頭の良さではなくて、生きる力のこと。
誤解を恐れずに言うと、命を全力で生きている。ということではないかと思ったりしている。
限られた時間の中で、自分に何ができるのかを考え、何がしたいのかを考え。
自己との対話に多くの時間を使い、自分の選択に責任を持って好きなことをする。
これができている人に野生動物と同じような『生きている感』を身体にビジビジ感じる。
みんなが、やりたいことをやり始めるとどんな世界になるのか想像するとワクワクを通り越して言葉にならない。
あえて言葉にするなら、やばい!とかAmaging!になる。
どちらを選択するのも、自由だけどイキイキしている人と一緒にいる方がこっちまでそれが伝染してくるし、楽しい。
こんなに長々と書いてしまったが、超雑にまとめると
『好きなことをしよう!時間は限られているから。とにかく楽しく生きよう』
ということになるのだと思う。
動物だけでなく、自然を見た時にも言葉にならないすごさがあると思う。
言葉でうまく説明しなければいけないのですが、どうしても伝わりきらない自信があるので、写真でお伝えします。
例えば、こんなところ。
この写真は一見、何もないように見えます。
そうなんです。
何もないんです。
、、、
『何もないがあるんです』
なんかトンチみたいになってしまっていますが、本当にそう思っています。
酔っ払ってもいません。正真正銘のシラフです。
ふざけているつもりは、一切ないです。(ちょっとだけあるかも。笑)
『生きている感』を全面に出すことができれば、それだけで生きていけるのかもしれない。
生きている感を出せばきっと、周りにいる人がその想いに共感してくれるんだと思っている。
極論、サバイバル力の高い人間が最強なのかもしれない。
今は、何もなくても『生きている感』さえあればなんとか生きていけるのではないか。
という願いにも近い感情と、いや生きていけるはずだ。という投げやりにも近い感情がある。
人生の中で実験を重ねながら、その答えを作っていきたい。
「おにぎりとカラス」の話でした。
おしまい。
これを読んでくれた人が、
今日1日を楽しく過ごしてくれたら切に嬉しく思います。
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