人生最後の日に笑ったおばあちゃんの話

人生最後の日に笑ったおばあちゃんの話

『常に心のワクワクを信じて行動し、人生最後の日に心から笑えるように生きること』をテーマに生活しています。世界中に心が落ち着く所をたくさん作りたい人です。

【コラム】嫌なことから逃げたいならそれでいい。好きなことから逃げなければ。

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学校や会社では、「嫌なことから逃げるな」という人もいるけれど、おれはそうは思わない。

結論から言ってしまえば、嫌なことから逃げたいなら逃げてもいいと思う。ただそれには、条件が一つだけあって『好きなことから逃げないこと』

これさえ守れることができれば、あとは好きなことを好きなだけやったら最高の人生になると思っている。

 

好きと嫌いは紙一重

誰にでも好きなことと、嫌いなことがあると思う。でも、好きと嫌いは紙一重なのではないかと思っている。

なぜなら、どちらも心が動いているから。

 

例えば、

誰でも好きな人と嫌いな人がいると思う。

好きな人と話をしている時や時間を過ごしている時は、きっと楽しい時間になっているはず。

反対に嫌いな人と話をしている時や時間を過ごしている時は、きっと嫌な時間になっているはず。

 

でも、考えてみると好きな人と嫌いな人は本当のところそんなに変わらないのかもしれないと思っている。

 

 

好きなことや楽しいことをしている時は、自然に笑顔になっていると思う。

 

『好きなことを仕事にしよう』

なんて、言葉にするのは簡単だけれど実際にそれをやっている人は、少ないのが現状。

 

好きなことを仕事にできている人は、ほどんといない。なんて言う大人が多いと感じる。

実際にわたしの周りの大人は、好きなことを仕事にしている人はいない。

 

嫌いなことを仕事にしている人もいる。

好きなこともしている人もいる。

 

『なぜ嫌いなのか?』

自分に質問してみるといい。

多分、それは自分にないものだから。

 

もしかすると、嫉妬しているのかもしてない。

それを認めたくないから、

嫌いということにしているのかも。

あるいは、本当に嫌いなのかもしれない。

 

好きなことを仕事にしよう??

最近、よく聞く言葉。 

『好きで生きる』
『好きなことを仕事にしよう』

 

「これからはAIの時代がくるから、機会ができる仕事が圧倒的に増えることで、仕事がなくなっていくから」
「機械ができない仕事をしよう」

「もっと、クリエイティブな仕事をしよう」

「そうでなければ、仕事がなくなって困ってしまう」

 

というようなことを言っている人が、

かなり多くいるように感じる。

好きなことを仕事にしてもいいし、

仕事を好きになってもいい。

嫌いだけど、給料や待遇がいいから嫌な仕事を続けてもいい。

 

実際、どうだっていい。

自分の好きなように好き勝手生きればいい。

なのに、無理に好きなことを仕事にさせようとする風潮がかなり気持ち悪い。

 

みんなと同じはヤバイ

実際のところ未来の話なんて誰にも分からないから、そうなるのかもしれないし、ならないかもしれない。


きっと、多くの人は同じ方向を向いているとどこか謎の安心感に包まれているのだと思う。

 

 

典型的な例が毎朝、

満員電車に乗っているサラリーマン。

皆んなが会社員として働いて、我慢して乗りたくもない満員電車に乗っているから、自分も我慢して同じ方向を向いていようとしているように見えてしまうのは、わたしだけだろうか。

 


おれも我慢することが、偉いことと勘違いをしている時期があった。

小学2年生の冬から高校3年生まで、ずーっとサッカー漬けの毎日を送っていました。

 

小学生の頃は、どんなに足が痛くても練習を休むことが良くないと思い込んで怪我を隠してでも練習した結果、全治3ヶ月の怪我をして小学生最後の大会には応援席で見守っていた。


中学生の頃は、どんなにつまらない授業でも座って授業を受けていた。
「何を言ってるんだ」
「当たり前だろ」
と思う人がいるかもしれないけれど、当たり前なんてのはきっとあってないようなもの。

 

ありえないことだけれどもし、もう一度中学生の時代に時間が、タイムスリップしたとしたら、やりたくないことはすべて拒否する。


嫌いなことを我慢する忍耐力が偉いという謎の風潮があるけれど、好きなことをやり続ける忍耐力を全力で評価する人間で在りたいと強く、強く思う。

 

高校生の頃は、

もはや部活が苦痛にすら感じていた。

異常な上下関係。

ただ、走るだけの練習。

理不尽な説教。

 

他にも例をあげればきりがない。

 

我慢することは偉いことなのか?

日本では、我慢することが偉いことと思われている雰囲気がある。

きっと、子供の頃から親に「偉いね」と褒められることが原因なのだと思う。

親もそうやって育てられてきたのだから、仕方ないと言えばそうなる。

でも、普通に考えればわかるはずだ。

嫌なことの我慢なんて何の意味もない。 

 

おれの最大の我慢は、就職をしたこと。

 

高校3年生になると、進路をどうするか決める時期がくる。高校は、スポーツ推薦で入学していたために試験という試験はこの時が初体験。

大学へ行ってもやりたいことが明確にないし、専門学校も行きたくない。
「だったら、就職するかあ」
なんて、気持ちで就職を選択した。

 

この時の選択肢は、たった2つしかなかった。
・進学
・就職

たったこれだけの手札しか、もっていなかったから我慢して就職というカードを引いた。

どちらも、やりたくないことでその中から選んでしまった。

その結果、1年で退職。

 

 

 

 

 

決定権は、自分にある

 今なら、当時の自分に向かって

『やりたくないなら、しなくていい』

『選択肢は、自分で広がるものだよ』

と言えるけれど、そんなことにすら気付けず我慢をしていまっていた。

 

好きな仕事につけたら幸せ。
夢を仕事にできている人は少ない。

なんて多くの大人は言うけれど、

それは仕方なく我慢しているのではなく、好きで我慢を選択していると言うことを絶対に忘れてはいけない。

 

 

そもそも、人間は嫌なことを我慢することができない生物だと思っている。

だから、我慢していると思ったり、嫌だと感じていることは絶対に長続きはしない。

なら、思い切って我慢を続けることを辞めたほうがいい。

 

そして、好きなことを続けていければきっと人生はもっと楽しくなる。

 

まとめ

・皆んなと同じじゃなくて大丈夫。

・嫌なことはしなくてもいい。

・全てを選択しているのは自分自身。

・我慢することは偉いことではない。

我慢を続けることを辞めて、好きなことを続けよう。

 

 人生なんて、適当でいい。

もっと自由でいい。

 

今日の質問

 『あなたが我慢していることは何ですか?』

 

この記事を書いている人

『常に遊び感覚で楽しみ、人生最後の日に心から笑えるように生きる』というコンセプトに生きています。
会社に勤めても長続きせず、退職を繰り返してきました。
なので、生きるために起業してみました。
 
誰かのためよりも、自分で自分を楽しませることが好きで、 『嫌なことを辞める』ことを自らの人生で実験中です。
 
人生の道しるべになっているわたしのストーリーはコチラ
 

 

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田中秀憲