「過程が大事」は逃げ道。人生は「結果が全て」
こんにちは、田中秀憲です。
最近、改めて結果が全てだと思っている。
何か行動をすると必ず結果がついてくる。
「過程が大事」
「結果が全て」
っていう人がいるけど、
おれは「結果が全て」と言い切る。
勝負する前から「過程が大事」なんて1mmでも思ってたら、負けてもいい。って思っているのと同じだ。
他人に負けるのもかなり悔しいけど、
自分に負けるのは最悪。
だから、「結果が全て」
結果にこだわらないと人生なんて、面白くならないと思っている。
チャンピオンは一人だけ
わかりやすいのが、スポーツの世界。
例えば、ボクシング。
どんなに強い歴代のスーパーチャンピオンでも、ボクシングを始めた時からチャンピオンの人なんていない。
1からコツコツ積み重ねた結果。
チャンピオンベルトを手にすることができる。
ボクシングのチャンピオンを目指して、チャンピオンになれずに「過程が大事」なんて言ってもダサすぎる。
チャンピオンの立場になって、そういうのであれば説得力があるけど、そうじゃないなら言い訳にしか聞こえない。
だから、「結果が全て」なんだ。
結局のところ、
結果を出せば認めさせることができる。
言葉の重みが違う
おれもそうだけど、
他人に認められる結果を出している人の言葉。
結果を出していない人の言葉。
同じ言葉でも、全く違うように聞こえるんだ。
結果を出している人が出している本と何も結果を出していない人が出している本では、売れ行きが違うのは簡単に想像できると思う。
例えば、おれが言っている言葉と堀江貴文さんや孫さんが言っている言葉では全く違う。
注目度も。
信用度も。
共感度も。
全てが違う。
そう考えると、
結果を出した奴が認められる世界なんだ。
結果を出さなければ、何を言っても周りの雑音にかき消されるノイズにしかならない。
ドイツのヒトラーがその典型。
周りの人間に認知され、信用されるとその人の行動や言動が、良くも悪くも正義になってしまう。
冷静にギャンブルをする
プロデューサー・ブロガー・コンサルタント。
どの分野の成功者でも、ギャンブルをしていた経験がある人が多いことに気づいた。
人生を変えるためには、ギャンブルは最高の体験なんだと思う。
ギャンブルと聞くと、
世間では悪いイメージが強いと思う。
そもそも、
日本人は「お金=悪」の洗脳が強すぎる。
お金が欲しいと言いつつ、
お金を稼ぐことには罪悪感を持っている。
つまり、日本の教育は成功しているんだ。
お金を稼ぐこと=悪という洗脳をかけてしまえば、会社に縛り付けることができるし言いなりにすることができる。
もっと言えば、ロボットにすることができる。
間違えるとやばいのが、
ギャンブルとチャレンジは別物。
ギャンブルには、チャンスを感じる力を高める要素が多くあるんだと思う。
・ルールを知る。
・感情を挟まずに冷静に数字を見て分析する力。
・負けるリスクを減らす。
・流れを読む力。
・運を待つ忍耐力。
ギャンブルという行為の中には、少なくともこれだけのスキルが必要になる。
世界にはプロギャンブラーとして、世界中のカジノを渡り歩いている人もいるのだから面白い。
ギャンブルは、
ヤバくならない程度にやるべきだ。
結局、死ぬんだから本気でやる
ここまで、「過程」より「結果が全て」ということを伝えてきたけど、結局は死ぬ。
生物として避けることができない事実だ。
死を意識しなければ、
本気になることはできないと思う。
人生は簡単に変わる。
なんていうことを言う人がいれど、
そんなのウソ。
人生なんて、そうそう変わらない。
「よし、明日から」
なんて思って人生が変わるなら、
誰も苦労しない。
だから、まずは人生にはタイムリミットがあることを意識する必要がある。
そうすることで、
何をすべきか。
どう在りたいか。
が見えてくるはずだ。
人生の目的とかミッションとかそんなのない。
一つ一つの行動に意味を見出そうとする人が多いけど、意味なんてない。
正解探しをする人生なんて、つまらない。
これは、日本の教育にも問題がある。
学校では、正解を求めることができる人間が優秀な人間として評価される。
正解を求めることができる=できる人間。
高学歴の人間ほど、正解を求めることができて素晴らしいとされる。
だから、社会に出た後にも正解を探し続ける。
自分の人生なのに、テストのように正解を考え見つけようと時間を費やす。
テストじゃないんだ。
学校じゃないんだ。
数字での評価なんて意味がない。
そんなことに時間を使うのは、
意味がないんだ。
だた、そこに存在するだけ。
いずれ形としての物体は、
骨になって灰になる。
だから、好き勝手生きよう。
この記事を書いている人