人生最後の日に笑ったおばあちゃんの話

人生最後の日に笑ったおばあちゃんの話

『常に心のワクワクを信じて行動し、人生最後の日に心から笑えるように生きること』をテーマに生活しています。世界中に心が落ち着く所をたくさん作りたい人です。

「金」も「能力」も何にもなくても、『可愛さ』があれば生きていける。

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つい最近まで、

『もっと、金があればな〜』

『もっと、能力があればな〜』

 

なんて、思ったりすることがあった。

 

 

正月が明けて、仕事が始まり、

通常の世の中に戻ってきた。

 

久しぶりに家族全員が集まった、今年の正月。

新たな家族が増えた。

 

 

生後8ヶ月の赤ちゃんに、

「金」も「能力」も何もなくてもいい。

『可愛さ』があれば生きていける。

 

なんて、ことを教わった気がする。

 

 純粋に生きる

お腹が減れば、ギャン泣きで

「腹減った〜!」

「ミルクくれ〜!」

って、全力で主張してくる。

 

 

生後8ヶ月の小さな体で、全身を使って。

まさに、全身全霊で。笑

 

そんな、泣いている姿ですら可愛く見えてしまう。

本人としては、笑われてムカついてるかもしれない。

 

でも、可愛さが勝ってしまう。

 

眠くなったら、ぐずり始める。

それまでは、ニコニコして、誰ふり構わず抱っこされていたのに

眠くなってきた途端、

 

「お前じゃない!!」

って顔をする。

 

そして、お母さんをめがけて両腕と両膝を目一杯に使って、

ドンドンと音を立てながら、猛スピードで向かっていく。

そのまま、抱っこされると

あっ、という間に眠りにつく。

 

 

 

2〜3時間ほどで、目覚めると

超ご機嫌で、一人で遊び始める。

 

とにかく、目に入るものは何でも触ろうとするし、

何でも口に入れようとする。

 

赤ちゃんがいるとものを散らかして置けないし、

目を離すこともできない。

ちょっと目を離したスキに、チラシの端をかじって食べてしまっていた。

マジで小さな怪獣だ。

 

おれにもこんな時期があったんだと思うと、関わってくれた全ての人に感謝の気持ちを感じたりしながら、姪っ子を見ていた。

 

 

誰かにとって、嫌な奴でも、

誰かにとって、大切な人。

 

そう思うと、他人のことを受け入れることはなくとも、

多様性を認めることが大切なのかもしれない。

 

自分に正直に生きている。

朝は誰よりも早起きで、5時には目を覚ます。

起きるとすぐにミルク。

少し遊ぶと、またすぐ眠くなってぐずり始める。

 

 

こんな感じで、とにかく体全体を使って主張して、

楽しかったら笑って、

嫌だったら泣く。

かなり単純でわかりやすい。

 

手がプニプニで、足が小さくて、

赤ちゃん特有の甘い匂い。

物理的に見ての可愛さがあるのは間違いない。

 

けど、

 

純粋性が高いことが、可愛さの根源に感じる。

とにかく純粋に生きている。

これに尽きる。

 

 

「自分に純粋に正直に生きている」

 

だから、ウソも建前も知らない。

そもそも、まだ言葉をしゃべれない。

 

人に何かを伝えるには、言葉以外の方法を使うしかないんだ。

だから、小さな体を全て使うし、とにかく正直。

  

ウソも建前も知らない。

人は成長するにつれて、ウソや建前を覚える。

そして、そのウソや建前が単純なことを複雑にしていく。

物事は全て単純なのに、人がそれを複雑にする。

 

しかし、ウソをつきたくて嘘を言ったり、

悪さをしたくて悪さをしたり、

言うことを聞きたくなくて反発したり。

 

本気でそう思って、その行動をとったのなら、

それも純粋性が高い。

 

 

つまり、

良い・悪い。

正義・悪。

正しい・間違い。

常識・非常識。

 

とかじゃなくて、純粋にやりたくてやったのなら、

それは、自分に正直で純粋性が高いことになる。

 

 

 

でも、多くの人が誰かの洗脳によって、

純粋性を失ってしまっている。

 

まだまだ、何も知らないのに。

知った気になってしまう。

 

知らない間に思い込みが作られて、

自分の限界を自分で引いてしまう。

 

 

失敗を恐れて、挑戦を恐れてしまう。

変化を恐れて、現状を維持しようとする。

不安を恐れて、安定にすがろうとする。

 

ありもしない、

目で見ることもできない、

妄想で作り上げた世界に囚われて、生きて時間が経過するにつれて、

純粋性を失っていく。

 

 

 

圧倒的に豊かで上手くいっている人たちに会って、気づいたことがある。

それは、純粋性が高いことだ。

自分に正直に、自分と向き合って生きている。

子供のようなまっすぐな気持ちで、想像力がかなり高い。

 

まだ何も知らなくても、

何の根拠がなくても、

初めてやることでも。

 

とにかく、どうしたらできるのかを考える。

どうしたら、現実にできるのかを考え、行動に移し、トライアンドエラーを繰りかえしている。

 

それに対して、多くの人はできない理由を考えて、

変化を恐れる。

結局、行動をしない。

 

 「金」も「能力」も何にもなくても、『可愛さ』があれば生きていける。

 赤ちゃんは、良いも悪いも知らないし、本能のままに生きているから

誰かが見ていないと、危ない目に遭う可能性がかなり高い。 

 

でも、誰かが見てくれている。

家にいるときなんかは、みんなが赤ちゃんに釘付けだったし、

一緒に遊んだり、ミルクをあげたり。

 

食べたらダメなものを手に取ったら、取り上げて、

テーブルの角に頭をぶつけそうだったら、手を添えて、

立とうとして、転びそうになったら支えて。

 

 

 

当たり前だけど、自分一人でできることは、かなり少ない。

それでも、多くの人に助けられることで生きている。

 

つまり、金も能力も何もなくても、可愛さがあれば

生き残ることができるのかもしれない。

 

可愛さがあれば、

助けてくれるし、

失敗も許されるし、

応援もしてもらえる。

 

 

どんな才能よりも、可愛さえあれば、

人生は、ハッピーで何とかなってしまうのだと思う。

 

そして、生きているだけでいい。

誰かにとって、

そんな存在になることができたら、最高なのかもしれない。

 

 

 

もしかすると、人生はこの人に会うことができて良かった。

本気でそう思ってくれる人が、

1人いたらそれで良いのかもしれない。

 

 

失敗を恐れず、まず挑戦すること。

自分にブレーキをかけずに、本能のままに生きること。

純粋に正直になること。

 

 

 

可愛い人って、雑にまとめると

「純粋に生きている人」

何だと思う。

 

矛盾や常識・理不尽なことがある中で、本能のままに生きて、自分にウソをつかずに正直に生きてきた時間の積み重ねが、言葉では表現しきれない可愛さになって、滲み出るような気がしている。

 

本当に大事なのは、

「金」でも、

「能力」でも、

 

なくて、

『可愛さ』なんだ。

 

 

そんなことを、生後8ヶ月の赤ちゃんから学んだ正月でした。

 

この記事を書いている人

ただただ自由で在りたいHIDEといいます。
『常に遊び感覚で楽しみ、人生最後の日に心から笑えるように生きたい』
と思い会社員を辞めました。
 
『嫌なことを辞める』を自らの人生で実験中です。
  
 
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プロフィール

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田中秀憲