ミシュランの星を拒否した、創業70年以上の洋食店シェフから学んだ仕事の在り方。
一昨日から、大阪に入っている。
すぐにブログを書こうとしていたけど、いろんなことが起きて、1日の時間が8時間くらいに感じていたら、すでに3日も経っていた。
その全てを書こうとしても、到底書ききれない。
だから、せめてその一部だけでも、書き残しておこうと思って、近畿大学の光が差し込むNiceな雰囲気の図書館で、大学生に混じりPCのキーボードを叩いている。
大阪にある洋食店での出来事。
外見はいたって普通の店で、目立った看板も、今時の若者ウケを狙いにいっているわけでもない。
どこの街にもあるような、街に馴染んでいるお店。
ただ、そんなお店のシェフは、ミシュランからガイドブック掲載依頼が来るほどの名店だった。
でも、シェフはミシュランの星を拒否している。
ミシュラン星を拒否する理由が、マジでカッコ良かった。
シェフの仕事を目にして、食べて、感じて、こんなかっこいい歳の取り方をしたい。
そう思ったのと同時に、
「おれの生き方は、ダサい」と思った。
あなたは、どう感じるだろう?
Facebookで知った洋食店
このミシュラン星を拒否した洋食店に、食べに行くことになったキッカケはFacebookだった。
面識はないけれど、Facebookにアップされていたとある投稿を見た。
よくある、友達の友達が何かしらのアクションをしたことで、ホームに出会ったことのない人の投稿を目にしたわけだ。
普段なら興味を持たないのだけど、その日はなぜか気になった。
この時は、まだミシュラン星の掲載依頼が来ているほどの洋食店ということを知っていなかったし、もし知っていたら、行ってなかったかもしれない。
ミシュラン星の起源
そもそもの話だけど、ミシュランはタイヤメーカーということを知っているだろうか?日本でも馴染みのあるタイヤメーカーのブリジストンに抜かれるまでは、世界一のタイヤメーカーだったわけです。
シェフがミシュラン星を拒否した理由
どのこの街にでもあるような住宅街の中に、ミシュラン星を拒否した店がある。
目立った看板もなく、店の前に駐車場もない。
店内に入ると、店内は、カウンター席が8席ほどあり、まだ開店直後だったにも関わらず、すでに5名のお客さんが席についていた。
すぐ目の前の厨房には、シェフが料理をつくり、奥さんが注文をとっている。
メニューを見て、注文をする。
まだ、この時はこの店が、ミシュランガイドに掲載依頼されるほどの店であることを知らない。
注文を終え、料理が出てくる。
ナイフとフォークで料理を食べるのは、慣れていないけど、
あっという間に食べ終えた。
お会計をしようとした時、シェフの奥さんがこう言った。
「美味しかった?」
「はい、美味しかったです」
その後すぐに、シェフが言う。
「誰かに、教えてもらって来たの?」
少し不器用で、大きな優しさが底にあるような方で、笑顔で話かけてきた。
すぐに、答える。
「とある、Facebookの投稿を見て来ました」
そこから、様々なお話を伺った。
そして、ミシュラン星を拒否しているという話もここで知る。
「ミシュランの人が、年に1回くらい来る」
「名刺を出してミシュランです」って、
でも、おれはミシュラン星を断っている。
「一年に一回、食べに来たくらいで、美味しいと評価されたくない」
「美味しいかどうかを決めるのは、お客さんだ」
「お客さんに美味しいと決められるのは嬉しいけど、ミシュラン星なんかいらない」
ハッキリと優しさのある声で、そういったのを鮮明に覚えている。
創業70年以上の洋食店シェフから、学んだ仕事の在り方。
飲食店に携わっている人なら、きっと誰もがミシュラン星を1つの目標にしているはず。
「ミシュラン星を持っている店です」
「ミシュラン〇〇星です」
そう、言えることができるのは、大きなアピールになるから。
でも、本質はそこじゃない。
ということをミシュラン星を拒否したシェフから、仕事の在り方を学んだ。
そもそも、ミシュラン星をとることではなく、ミシュランを認定している人に美味しいと認められるわけでもなく、お客さんに美味しいと思ってもらうことに価値があるわけだ。
つまるところ、お客さんを喜ばせることに最大の価値がある。
だから、シェフはミシュラン星を拒否しているんだと認識している。
その仕事に対する在り方、生き様が物凄くカッコよくて、長袖で隠れた腕には鳥肌が立っているのを感じた。
本来、仕事というのは、人を喜ばせるためにあるのであって、自分の利益や地位・名誉を追いかけるものではない。
シェフであれば、ミシュランガイドに掲載され、ミシュラン星を得ることが目的ではない。あくまでも目的は、目の前のお客さんを喜ばすことで、ミシュラン星を得るのは手段でしかないわけだ。
当たり前のことだけれど、忘れてしまっている人が多い。
目的と手段をこちゃ混ぜにしてしまうと、本質が見えにくくなってしまう。
おれも、確実にその1人だった。
お店にいた数十分の間に、16名ほどのお客さんがシェフの料理を食べに来ていた。
シェフが大事にしているのは、お金でも、地位でも、名誉でもなく。
目の前に、座っているお客さんだった。
だからこそ、口コミで多くの人に情報が伝わるのだと思う。
その証拠に、
「ネットは、詳しくないからできない」
「でも、ネットを見てたくさんの人が来てくれる」
そう言っていた。
最近では、韓国からの観光客が来ているとも。
実際に、おれもFacebookのとある人の投稿を見て行っている。
とにかく、瞬間、瞬間。
目の前のことに取り組み、目の間にいる人の出会いを大切に、目の前の人を喜ばせることが、本来の仕事の在り方なのだとシェフが厨房に立ち、料理を振舞う後ろ姿から、学ばせて頂いた。
というアピールをすることもできた。
けど、シェフは何度もミシュラン星を拒否している。
その理由は、喜ばせる相手が違うから。
美味しいか美味しくないかを決めるのは、お客さんであって、年に1回しかこないミシュランガイドの人間ではない。
喜ばせる相手は、ミシュランの人間ではなく、目の前にいるお客さん。
人を喜ばせること、笑顔にすることが本来の仕事の在り方だと改めて感じることができ嬉しくなったのと同時に、危機感を覚えた。
そして、シェフのようなカッコイイ大人になりたいと心底思った日だった。
また、行きます。
『あなたは、仕事に対してどう向き合っているだろうか?』
『目的と手段が混ざっていないだろうか?』
『目の前の人を大事にできているだろうか?』
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