子供のお神輿で感じた「素直に的確に他人に助けを求めるスキル」について。
こんにちは、田中秀憲です。
最近、近くで多くの祭りがあります。
子供の頃、子供会の行事で一番好きだったのはお神輿。
理由は、単純でお金をもらえるからです。
当時、お賽銭をもらいに家のインターホンを鳴らして、4時間ほどで、5000円ほどもらえ多記憶があります。
お小遣いがなかった俺にとって、お神輿はお金をゲットできる数少ないチャンス。
他にチャンスは、お年玉しかなかったから。
子供から大人になるにつれて、難しく感じる「他人に助けをお求めるスキル」について、まとめてみました。
お賽銭と募金箱の違い
そんなある日。
遠くから笛の音と掛け声が聞こえてきた。
だんだん、音が近づいてきてインターホンが鳴る。
数十年が経って、立場が逆転していた。
今度は、お賽銭をあげる立場だ。
お賽銭の金額は決まっているわけではないけど、だいたいが1000円以下だと思う。
「お賽銭お願いしまーす!」
こう言われて、断る人は少ないと思う。
でも、普段の買い物をする近所のスーパーやコンビニでレジの横にある募金箱にお金を入れたことは、ほぼない。
もしも、レジの人に
「お賽銭お願いしまーす!」
とどんなに笑顔で言われても、厳しい。
小さいと思われるかもしれないけど、もったいないという気持ちの方が勝ってしまう。
その点、子供に言われるとなぜかもったいないよりもどうぞ。
という気持ちの方が一瞬にして圧勝する。
子供のころは、お賽銭をもらってお金をもらうということになんの疑問も持っていなかった。
他人に助けを求めることができればチャンスが生まれる
子供は、ひとりでは何もできないことをよく知っているのだと思う。
大人になると、なんでも一人でできているような気分になるけれど、実際のところ一人でできていることなんてない。
朝食べた魚だって、漁師がとって、スーパーに並んで、お金と交換してやっと食べることができる。肉も野菜も全て関わっている人がいる。
家だって、道路だって、車だって、スマホもパソコンも。
全部誰が関わってくれている。
子供は、自分の力がないことを認めて誰かに助けを求めることが天才的にうまい。
最近は、クラウドファンディングやPolcaといった、支援サービスが浸透してきているけれど、ここでうまくいっている人も的確に助けを求めるのがうまい人が、多くの人に支援されている印象を受ける。
人生は限られているし、一人でできることは何もない。
つまり、助けてくださいと素直に口にして言える人が、多くの共感やムーブメントを生むことがでいるのだと思っている。
だから、素直に
「お賽銭お願いしまーす!」
と言える大人になれば、誰にでもチャンスはあるはずだ。
お願いすることは悪なのか?
人に何かをお願いするのは、良くないこと。
迷惑をかけるのは、ダメなこと。
なんていうのは、思い込みでしかない。
他人に迷惑をかけないで生きている人間なんてのは、一人もいないのだから、相手の迷惑を許るというスタンスでいることの方がきっといい。
こんなことを思って、コンビニへ行ったついでにワンピースを立ち読みしていたら、、、
またあの声が。
「お賽銭お願いしまーす!」
コンビニにも堂々と笑顔で突入してくる子供は、やっぱり最強だと思いました。
法律を除いて、やったらいけないこと。
なんてのはないのかもしれない。
大人になると、無意識にためらってしまっていることが、多いことを感じさせられました。
もしかしたら、人間としてのパワーは時間が経つにつれてどんどん下がっていくのかもしれない。
成長なんて言葉にうまくまとめられて騙されているけど、人生は引き算なのかもしれないと思っている。
子供のような大人。
大人げない大人。
大人になりきれない大人。
なんでもいいけど、とにかく自己満足を徹底的に追求して、ピンチになりそうな時には
素直に的確な助けを求めることが、人生の大きなポイントになるのだと思ったりしている。
この記事を書いている人
『常に遊び感覚で楽しみ、人生最後の日に心から笑えるように生きる』というコンセプトに生きています。
会社に勤めても長続きせず、退職を繰り返してきました。
なので、生きるために起業してみました。
誰かのためよりも、自分で自分を楽しませることが好きで、 『嫌なことを辞める』ことを自らの人生で実験中です。
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